尊敬すべき元祖ワーママでいらっしゃいます、国連難民高等弁務官 ・国際協力機構(JICA)理事長として活躍されていた緒方貞子さんが92歳でなくなられたことが発表されました。
お子さんもいて、すばらしい功績を遺された緒方貞子さん。フルタイムでの仕事についたのは40歳から。単身赴任(スイス)したのは63歳。 どんなワーママキャリアを送ってこられたのでしょう。
緒方さんの遺されたコトバと生き方、功績。すべての働く女性の参考になると思います。
「女性には男性と違うサイクルがある」
緒方貞子さんが遺されたことばにこんな一節があります。
” 女性には男性と違うサイクルがあるの。だから焦って目標を決めてしまうより、自分のサイクルで生きながら長期戦でかまえたほうがいい”
振り返ると、
自分のつわり、おっぱい修行、子供との折衝に一人格闘する私。
その間に着実にキャリアを積んで進んでいく夫、未婚の友人たち。
つらく感じて焦る夜が何度もありました。
子どもはタカラモノであることは私の中で絶対に間違いない。
生物として、産むのは早い方がいい・・・でも・・・
どうしたら全部「いける」いけるのか。
その答えが、緒方貞子さんの
「女性は男性とは違うサイクルと寿命で生きている」
ということをしっかり認識すること
ではないかと思うのです。
緒方貞子さんの場合 結婚と出産、仕事復帰のタイミング
緒方さんの経歴を独断で表にしました。
もちろん憶測の域を出ませんが、あの年代、ワーキングマザーとして生きるのは大変だったはず。
スーパーエリートのご一族なので、いろいろ余裕のある状況だと思いますが・・・
産むのはご本人しかいませんので、そのタイミング自体は参考になると思います。
子育て集中期間
34歳から36歳のころに「子育て集中期間2年半」を取られているのではないでしょうか。
子ども3歳までは「研究」
緒方さんのお子さんが3歳になったのは1965年。
1998年版の国の「厚生白書」で 「3歳頃までの脳の成長は重要である」という記述が日本の「3歳神話」のスタートだとすると、世間で「3歳神話」が流布される以前に、緒方さんはお子さんが3歳の時期を過ごされ、なんらか の区切りとしていた(結果的に?)ようです。
(ちなみにスウェーデンには1歳神話があるそうです。)
「研究」これは自分の時間をある程度調整できますよね。
もしかしたら赤ちゃんと一緒の部屋でできて、てキャリアの土台になるものを積み上げられたかもしれません。
私も2人目を産んだ直後に、抱っこしながら勉強して、簿記をとりました。
(まったくの専門外ですが、復帰直後にその知識が必要になりびっくりしました。)
緒方さんの経歴を調べるうちに、3歳まで育休をとって、短時間託児を使いながら、もっと本格的に専門の勉強に集中して積み上げてもよかったと思いました。
3歳過ぎてから外の仕事
キリスト教大学の非常勤講師の拘束時間は分かりませんが、3歳での区切りが見られます。
小学生からフルタイム
貞子さんが「40歳から」フルタイムだったのか・・・と思っていたのですが、息子さんの年齢を重ねると、「小学校入学」からフルタイムのほうが適当な区切りの気がします。
60歳すぎても出発できる!!
そして、「子育てを終えた60歳を過ぎてからの出発」
63歳でスイスに単身赴任!すごい・・・
貞子さんを支えたご家族の背景
曽祖父 犬養毅氏
元内閣総理大臣 (貞子さんの名づけもされている)
↓角川まんが学習シリーズ 日本の歴史別巻 よくわかる近代史1 P158~
国際連盟で満州国問題が審議されている中、軍部が満州国を建国させたことに反対し、犬養毅首相は建国を承認しませんでした。それに反感をもった海軍の青年将校らに暗殺されてしまいます。(五・一五事件)
首相官邸に乱入し、自分を撃った将校に対し、「今撃った男を連れて来い よく話してきかすから・・・」と言ったエピソードが有名です。
自分を撃った人間に対し、「ゆるさん!!」と叫ぶのではなく、「どうしてその人間の考えと違う行動を自分がとっているのか」を説明しようとする姿勢に圧倒されます。
両親 中村豊一氏・恒子氏
外交官 元フィンランド特命全権公使
夫 緒方四十郎氏
東大法学部卒
元日本銀行理事
2014年死去 享年86歳
義父 緒方竹虎氏
元自民党総裁
元副総理大臣
元朝日新聞副社長
子 緒方篤氏
映像作家・監督 ドイツ・オランダを中心に活動
13歳で父の仕事でアメリカへ移住
ハーバード大学卒
富士通勤務(ソフトウェア研究者)
マサチューセッツ工科大学(ビデオアート)
映像作家 デビュー作「脇役物語」
アメリカの友人に、「キミは写真の才能がある」といわれてマサチューセッツに入ったそうです。
・・・写真の才能がある→マサチューセッツ工科大学という発想が常人を超えてます(笑)
すごい一族のご出身なんですね。
緒方貞子さんの仕事・功績
当事国内に残っている難民を保護の対象とした
今まで、国連は、問題が起きた国から脱出した人々を「難民」として保護の対象としてきました。
しかし、さまざまな理由から、苦しみながらも、その国から出られない人々は沢山いる。その人々をも国連の保護対象としたのです。
これは、家庭内暴力がある家庭で、家出をした子どもは保護するが、していない子どもは保護しなかった。という現状から
家庭内に、保護センターのような外部機関が入って子どもを保護するようなもの。
当事国(問題を抱えた家庭)の主から猛烈な反発があることは容易に想像できます。
歴代の弁務官は全てヨーロッパー人の男性。その状況で、
この難題に、国連で働いたこともなく、外交官でもない、緒方さんが立ち向かい、状況を変えていったのです。
緒方さんの言葉と姿勢
”忍耐と哲学をかければ、物事は動いていく。”
”あいまいで不透明な問題などというものはない。
あいまいで不透明と考えるのであれば、
それを個々の課題に落とし込み、
課題ごとの方策を考えていくことが肝要。”
”熱い心と冷たい頭を持て。”
要求を聞き入れてもらうために座り込みのハンガーストライキを行い、組織に対して”ショック療法”を試みられたこともあります。
自ら防弾チョッキを着込み、イラクやサラエボ、ルワンダなどの紛争地帯へ率先して出かけて行かれたそうです。
”最後は理論ではない。一瞬のカンです。”
いままでの常識では考えられなかった、「戦闘のまっただなかへ空から救援物資を届ける」という思い切った判断もされています。
”難民問題で必要なのは、3つの『リスペクト(尊厳)』です。
まず、家を追われて最も貧しい境遇にある人々を守らんとする国々の献身に、尊厳を。
次に、各国の協力体制の下で難民に寄り添い、第一線で人道支援に従事する者たちに尊厳を。
そして一番大事なのは、難民に対する尊厳です”
難民問題だけではありません。
不幸な現状を打開するために協力している献身的な人々と、
第一線でその現状と戦う従事者
そして大切な当事者を大切に思う気持ち。
さまざまな組織で不幸な現状を変えるために戦っているワーママも沢山おられると思います。
ミスをあげつらい、非難するのではなく、ミスを起こさないしくみをともに考える社会である必要があると最近のニュースを見て感じます。
”「カワイソウ」だから「してあげる」のではない。その人の尊厳を守るために取り組むのです。”
卑近な例で恐縮ですが、
ワーママの家事育児は「カワイソウ」だから「てつだってあげる」ものでしょうか。
妻の尊厳を守るために、家族で課題ごとの方策を考える必要があります。
”生き延びれば、チャンスがあります”
著書:共に生きるということ
↑共に生きるということ be humane 100年インタビュー
1人だけ良くなるというような時代は、もうあり得ない。
あらゆる面で非常に激しい変化が続いていくけれど、
難しくても先読みができなきゃならない。
頑張って先を一緒に考えよう。
人口構造
少子高齢化社会になることは分かっていたのに対応しないまま来てしまった。
長寿はすばらしいけれど、その人たちに対応する制度暮らし方ができていない。
女性が子どもを持っても保育・就労の制度ができていない。
日本の経済発展
女性が働かなければできない。
外国人労働者を入れるのか、相手国との関係はどうか。
教育
システムが国際的でない。
英語の早期教育は国語ができてからというが、自分の国の言葉を忘れることなどない。(すごい説得力です)
また、英語のほかに何を知っているのかが大切。
PHPオンライン衆知 緒方貞子「1人だけよくなるような時代は、もうあり得ない」より