人生の選択肢について何度も立ち返って考えさせられる作品だった。
前作。見終わった後。「なんで?あれは なんでこうなった? 」という中途半端なシーンがあまりにもたくさんあったので、旦那と場面を思い出しながら話し合い?をするほど考えた。
私たちの結論としては、『主人公(鈴)は、気の合いそうな幼馴染より、毎日の生活を共に築いてきた旦那(周作さん)の方がだんだんスキになったんだろう。』と言うことになったのだけれど・・・
なんか納得行かない!
翌日、私にしては珍しく ”原作ネタバレ”を調べて読んでみた。それは原作の説明しているもので、かなりの分量の記事があったけれど、しっかり読んでしまった。
そして・・・このネタバレを読んだことが、ハッピーだったのかどうか、迷う気持ちになった
この気持ちは、鈴さんに感情移入した 全ての人が感じるんじゃないだろうか。
私が感じたことをコトバにすると3点。この点について考えて見ます。
・真実を知る代償
・ベストとベター
・責任をとるということ
真実を知る代償
知ったほうが良かった?知らないほうが良かった?
このすずさんの場合、自らガツガツと夫の心の中に住み続ける誰か他の女性を探したわけではなく、一つ一つの何気ない選択が「知る」というところにつながって行ったのだから、避けられなかったのかもしれない。
でも、どっちが良かったんだろう。
知らずに、周作さんをゆっくり愛して死んでいく一生が前作
知った上で、それでも周作さんと生きていくのが今回の作品
真実を知ってしまうと、今まで相手がしてくれていたこと本当の気持ちが わからなくなる。
その場面その一瞬は、心の中に住む違う誰かを忘れて、自分のことだけを想って何かをしてくれているとしても。
他に1番好きな人がいる。という前提の上で
自分にそういうことをしたと思うと
同じ行為でも同じ言動でも意味合いが違ってしまう。
真実を隠されたままだとしても 相手の 一面だけを見て幸せな気持ちで 生きていくのがいいのか
辛い内容だとしても真実を知るのがいいのか
知るということは もう後戻りはできない一度知ってしまったら 知らなかった頃には戻れない
真実を知るという行為は 、人生にとって、思っていたよりも重大な変化をもたらすものだと感じました。
本人が全く知らないことは、その人の世界の中にその事象が存在していないことだから、知らなくていいこともあるのかもしれない。
そして「積極的に自分が不幸になる情報を入れていくのは自殺行為かもしれない。毎日、心霊とか怖い話ばっかりする?ビクビク暮らす?」
そのレベルで考えると・・・
知らないほうが良かった。かもしれません。
選択肢ベストとベター
姪をつれてあの道を通るとき、右側にいれば良かった?左側にいればよかった?
右側、左側は選べなかった。というより、爆弾がどちらに落ちていたかは、選べる内容ではなかった
でも、パートナーはちがう。少なくともすずさんには選べる内容だった。
周作さんが悪いわけじゃない
すずさんが悪いわけじゃない
リンさんが悪いわけじゃない
水原が悪いわけじゃない・・・とおもっていたけど
本当にそうなのか??
全員、自分を幸せなりそうな選択肢を、一生懸命選択してない!
愛する人を幸せにしそうな選択もしてない!
私がおばあさんになって老成したら、この4人の選択が「分かるわー」な境地にいくのか???
本当にお互いを一番愛している人同士が結ばれないことは
周りにも悲しみを 広げる気がしてならない。
心の中に、自分も夫も違う人がベストとして住んでいる状態で共に過ごしていくことのほうが苦痛じゃないんだろうか。
片思いならまだしも、両思いの可能性が高いのに??
全員が、ベターなパートナーと悲しみを抱えて生きていく
諦めて生きていく
ベストを追い求め続けるのではなく、ベターで行くこと
ベターの中にベターな幸せを見つけていくことを
4人は選んだ
子供がいないんだし、4人とも ベストへ 進んでいっても よかったのに
このうちの1人でも「自分はベストを選ぶ!!」と強い意志を示したら、4人とも幸せになれたかもしれないのに。
ベターを選んだ人同士の夫婦なのだから周作とすずは似てるんだろうなと思った
周作がベターなパートナーであることを認識せずに、ベストの可能性のある水腹と夫婦になることを諦めたすず
すずがベターなパートナーであることを認識して、ベストの可能性のあるリンさんと身分違いの夫婦になることを諦めた周作さん
ここでも、
パートナーが自分にとってベストではないと認識したほうが良かった?しないほうが良かった?
という問いがでる。
「周作さんひどいな・・・」と思ったけれど
すずも自分にとっての ベスト を一生懸命考えていなかったから
同じだろう。いや、周作さんはリンさんとの結婚に一度チャレンジしているんだからマシかもしれない。
ベターで悪いわけではない 。でもベストが あることはずっと心に残る。お互いに。
夫婦の片方の心の中に違う人が住んでいるというのはある話なのかもしれないけど 二人ともそうというのは、なんか悲しいなぁ
パートナーがベターなら、せめて仕事か 趣味はベストで 行きたい・・・
思う私は欲張りなんだろうか?
いやいや生物学的に考えて、 『一目惚れ』は自分にない遺伝子を感覚で探り当てているので 生き物としては 正しい。とするならば
ベストの異性がいるのにベターを選ぶというのは 『社会的動物』である人間の特徴かもしれない。
責任をとるということ
声かけたほうが良かった?かけないほうが良かった?
幼馴染の水原との未来は・・・選べた。と私は思う。
周作の姉、径子が言う
「自分で選んだ道だから 不幸せとは違う」
店はなく、夫も娘も死に長男も手元にいない状態でも彼女は言う
「あんたの人生はさぞやつまらんじゃろ思うわ」
配偶者も住む場所も自分で選んでいない道を歩いている鈴に対して。 この
ここまでの境地に私は達することができていないし、
夫と娘を失ったとしたら、いつか達することができる気もしない。
彼女ほど自分の自由と責任を生きている人はいないのではないだろうか。
自由には選択がついてくる。つねに自分の意思で選択を重ねていく。
責任とはなにか。責任とは「自分で決めたことで起こった嫌なことを我慢して対応すること」だと私は子どもたちに説明している。
たとえば、『自分の自由な選択』でTシャツを着ていって、もし寒かったら『責任を取って』我慢したり、家にコートを取りに行ったりすることだ。
だからこそ思う。
すずさん、水原に声をかけて欲しかった。
そしてそこから自分の自由と選択の責任をとる人生を始めて欲しかった。
一生ココロに塊をもったまま生きて、死んでいくのか。
周作さんにはココロにりんさんが住んでいる。
すずとの間に子供もいない。水原は・・・きっと1人だ。
いいじゃん!なにがハードルなん!!!
私は、劇中、鈴が水原の後ろを通り過ぎていく場面で「・・・声かけて!もどって!」と実際に言ってしまった。←そして旦那に止められた(笑)
なに、ここ、みんな「わかるわー!」なとこなの?!シーンとしてるとこなの?
アメリカ的な映画なら、水原とすずが、広島の焼け跡で出会った子供を育てていく。周作さんはリンさんとの思い出を胸に家族と生きていく。
コレならいいのになー・・・
自分ではできなくても、ココロから幸せに生きてほしいと願う自分の子供が
すず、周作さん、リンさん、水原だったら?どんな選択肢を選んだら幸せになりそう?そこを考えてからその結論を自分自身に返して欲しい。
前作は戦争を新しい形で表現する場面が評価されていた。けれど、私は、
多くの人々は ベターを選んで生きている。
この作品は、ベターを選んだ人の悲しみや喜びが表現されている。
ベターを最終的に選んでいくという内容だから、こんなに人々の共感を得ているのかも知れないと思った。